90年代の日本を覆っていた奇妙な閉鎖感と、先の見えない絶望感をまっ黒に燃やし尽くしてしまった、驚きの大傑作。
恐ろしいほどのヘビィネスを装備したバンドサウンドと、世紀末の風景を詩的な描写でえぐり出すリリックが、激しくきしみ合いながらドライヴしていく今作。リリース直後から強烈な反響を呼び、このバンドを名実ともに日本のトップ・バンドへと導いた。異常なテンションを持つ高性能ロックンロールは、日本のロックにとって1つの大きな到達点といえるだろう。(森 朋之)
ブルース色の強い最初のふたつのアルバムのために、ヤードバーズの遺産を、そして、重要なことにウィリー・ディクスンの曲を盗んだ後、ジミー・ペイジらは『Led Zeppelin III』(邦題『レッド・ツェッペリンIII』)でアコースティックやフォークの強い感性を見せ、多くのファンを驚かせた。が、ペイジのファンは不意をつかれたわけではない。このギタリストは、短かったヤードバーズ時代にも、アルバム『リトル・ゲームス』(原題『Little Games』)の「ホワイト・サマー」(原題「White Summer」)で最も顕著なように、同じような感性と様式で戯れていたのだ。かつてない独創性をもつ盗人、レッド・ツェッペリンは、途方もないほど始終FMで流れ続け、『バリ・ハイ』(原題『Bali Ha‘i』)からのフレーズをロバート・プラントが叫ぶ「Immigrant Song」(邦題「移民の歌」)を、このアルバムの最初に持ってきた。「Celebration Day」(邦題「祭典の日」)や「Out on the Tiles」(邦題「アウト・オン・ザ・タイルズ」)といった他のエレクトリックなロックにさえも独創的なオフビートの音楽的才能が表れていて、このバンドはすでに枠にはめられることを警戒していたに違いない。しかし、アルバム後半の明らかにもっとメロウなアコースティックこそ珠玉の名曲で、「That's the Way」(邦題「ザッツ・ザ・ウェイ」)と「Tangerine」(邦題「タンジェリン」)の優雅な美しさや、「Bron-Y-Aur Stomp」(「スノウドニアの小屋」)、「Hats Off (to Roy Harper)(邦題「ハッツ・オフ・トゥ・ロイ・ハーパー」)、伝統的な「Gallows Pole」(邦題「ギャロウズ・ポウル」)の素朴な民謡風の魅力こそ、注目すべきものだ。(Jerry McCulley, Amazon.com)
もう一方の『ゆらゆら帝国のめまい』と同時リリースのフル・アルバム。サイケデリックで本格志向の3ピースバンドというイメージはいとも容易く瓦解すること必至のイマジネーションにあふれたこの作品、まずはポストロックやエレクトロニカ的なアプローチのオ―プニング「ハラペコのガキの歌」で開幕。全編に印象的な女性コーラスを配したり、極端にエフェクトのかかったビート、単に音の1コと化したギターなどが、バンドというスタイルから存分に自由に聴き手を翻弄する。閉塞(へいそく)感に満ちた歌詞そのものもリアルだが、そうした不安感や不条理をサウンド・プロダクションの域に高めているのが衝撃。社会的側面とセクシャリティの見事なまでの共存。(石角友香)
1995年結成の福岡出身男女4人組ガレージパンクバンド、ナンバーガールの3rdアルバムは、ジェーンズ・アディクション、マーキュリー・レヴや、グループのシングル(「ディストラクション・ベイビー」、「URBAN GUITAR SAYONARA」)を手がけた、デイヴ・フリッドマンをプロデューサーに迎えてアメリカ録音を敢行。
向井秀徳の絶叫から始まり、民謡風メロディやメタリックなドラムが重なる<1>、切り裂くようなギターカッティングや、現代社会=<冷凍都市>の風刺が強烈な第6弾シングル
「一度聴いたら病みつきになる」と評判だったフリッパーズ・ギター。本作は、彼らの第2弾アルバムである。ここにきてメンバーは2人に減ったものの、パワーダウンするどころかさらに心地よく、よりフリッパーらしさが感じられる作品だ。
今回は、イギリスのAIRレコーディングスタジオにて録音された。そこにアズテック・カメラ、モノククローム・セットのメンバーが参加。エンジニアにはスミス、モリッシィなどを手掛けたスティーヴ・ウィリアムス。ほかにもさまざまな人がスタジオを訪れて、おおいに盛りあがったらしい。日本にはめずらしい音楽性をもった彼らはとても貴重だ。(池端まゆ)
「民生、ここに見参!」とも言うべきか、前作から2年ぶりの本作品は、彼の意気込みと音楽ルーツが絞りあげられてできた集大成。70年代ロックを基調とし、骨太ロックにエレクトリックなスパイスをちりばめ、ブルースまでも加味されている。「イイトコ取り的」な彼の巧妙な手口には脱帽する。
どの曲ものらりくらりと歌詞が展開されており、民生ファンはまたもや彼の策略にはまってしまうだろう。同じメロディの繰り返しでありながらも、ヒットを飛ばしたシングル
ライヴ活動を停止した彼らが、今までにないほどの時間と労力を費やして作りあげた傑作アルバムである。
<1>からブランクなしに<2>に入っていったり、<12>に
ブランキーのセカンドアルバムは、とにかくかっこいいの一言に尽きるほどの見事な仕上がり。余分な音を排除したシンプルな構成を追求しながら、前作以上にポップな音作りに成功している。
プロデューサーに元一風堂の土屋昌己を迎えた結果、サウンドがよりクリアに仕上がっている点が成果を上げたといえるだろう。それにしても、浅井健一の悲痛な歌声と緊迫した歌詞には聴くものを圧倒する勢いがある。(大石みちひろ)
1971年のセカンド・アルバムで、言わずと知れた日本ロックのマスターピース。「風をあつめて」「はいからはくち」「夏なんです」といった代表曲がそろい、演奏、ヴォーカル、ソングライティングのいずれも前作より完成度が高く、彼らの到達点といえる作品。歌詞は“~なんです”という独特の言い回しを多用して、文学的な表現に磨きがかかっているし、演奏にしても、後のティン・パン・アレー~ジャパニーズ・ソウルに通じる、ほのかに揺れるグルーヴ感がすでに散見される。ヴォーカルも大滝詠一が流麗でウェットな声を聴かせ、細野も朴訥(ぼくとつ)とした味の歌で活躍。各メンバーとも個性を十分に発揮し、それらがからみ合って、夏の陽炎のような白くまぶしい音像を生んでいる。日本語によるロックの確立というだけでなく、そうした独自の音世界を築いたところに、本作の価値がある。だからこそ名盤として受け継がれ、数え切れないほどのフォロワーを生んだのだ。(小山 守)
伝説のロックバンドはっぴいえんどに在籍していた大滝。その後1970年代を通して数多くのソロアルバムを発表するも、音楽的な実りの豊かさとは裏腹に商業的な成功を手にすることはできなかった。
そんな不遇の時代を経た彼が、そのマニアックともいえるアメリカン・ポップスへの深い知識をわかりやすく結晶化させた作品が『A LONG VACATION』である。
それまでの日本にはなかったドライでクールな情感を漂わせるメロディ、精密に構築されたカラフルな音作り、松本隆の手によるファッショナブルな歌詞が生みだすサウンドイメージは、当時の音楽シーンに大きな衝撃を与えるとともに、ベストセラーとなった。「ジャパニーズ・ポップスの最高峰」と評されることも多い傑作。永井博によるジャケットも秀逸だ。
本作『20th Anniversary Edition』は、この名作を大滝自らがリマスタリングし、さらに未CD化だったレアなカラオケ盤『SING A LONG VACATION』の音源をボーナスとして収録した作品。1981年の発表以来アナログ盤、カセットテープ、CDとさまざまなフォーマットで販売されてきた『A LONG VACATION』だが、この『20th Anniversary Edition』では今までで最もロック的な、硬質でクリアな音を楽しむことができる。(森 朋之)
曽我部恵一曰く最高傑作という『24時』から、1年経って発表されたアルバム。一度、拡大したサニ-デイ・ワ-ルドを今、一度、曽我部の私小説のような世界に濃縮してみせており、ある意味では原点回帰をはかったアルバムといえる。ただ同じ私小説とはいってもファーストの『若者たち』や、セカンドの『東京』のような青春期のものとは違い、大人になってからの私小説に取り組んだ作品といえるかもしれない。名曲<4>
同名の主演映画第2弾のサントラ盤。タイトル曲に代表される内省化し深化したジョンの詞作がいよいよアイドルからの脱却が近いことを物語っているが、全体的にはポールの成長が著しいアルバムといえる。
特に、いまやスタンダードナンバーとなった
「リズム」に対する自由な解釈が、聴く者に新鮮な刺激を与える代表作である。
もともと彼らはニューヨーク・アンダーグラウンドの系譜に属するバンドだったが、本作ではファンクやアフリカンミュージック、南米の民族音楽などのプリミティブなリズムを、デジタルな感覚で再構築。まったく新しいビート感を作りあげることに成功した。高いインテリジェンスを感じさせるサウンドが、90年代以降のダンスミュージック、オルタナティブ・ロックへ与えた影響は大きい。(森 朋之)